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デリュージョン・ストリート 5

エメラルド

 くすんだ緑色の路面電車が軌道の継目で轍の音を響かせている。たれこめるような暗い空が広がり、その都市に大陸的といわれる渇きがなければ、おそらく陰湿な土地柄としか感じられぬであろう。明治の頃も、大正の頃も、その景観は変らなかったはずだ。『暗い流れ』という秀作を遺した小説家は、きっとそのようなことに触れたかったに違いない。けれども、その都市を離れて以来、彼は北の国の渇きからも離れてしまったのだろうか。
「望郷は珠の如きものだ」ある詩人の、この名高い一文で始まる文章をその都市に向かう列車の中で読んでいたとき、車窓から見はるかす雪の原野がことさら愛おしいものに感じられた。子供時分から、雪は嫌いだと思いつづけていた気持が、わずかに揺れ動いたのだ。満員の車輛では、ひどく泥臭い土地の言葉が熱気のように渦を巻いた。いつの頃か、プラットホームに寂しく笑う少女がいたが、乱れた髪が粉雪にかすんでしまうと、永遠に見失っていた。
 そのことを思い出しながら、駅頭からふたたびその都市を眺めやると、路面電車の姿はどこにも見当たらず、間の抜けた道路を中心に留めたつまらない街が雪に埋もれているばかりだった。煉瓦造りの旧庁舎が保存されている方の道へ迂回してその都市を南北に仕切る公園に辿り着くと、凍りついたベンチに腰を落とし、かじかむ指をなだめてパイプに火を入れてみた。そして、いつからか時間が滞っているように感じていた。
 肉体の時間は、こうした哀しい都市とともに確実に推移している。しかし、それが生きている時間のはずはない。ただの生物学的な個体の推移にすぎぬはずだ。人は、もっと別の、数限りのない妄想の世界を編み出すことができる。〈地球の夢〉が数十億の異なる現実を同時に存在させるように。そこまで考えて、夢は現実にもうひとつの現実であり、より多くの現実である、とひとりごちた。

(初出 詩誌『詩学』第39巻第2号、1984.2刊)





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